試写会「窮鼠はチーズの夢を見る」 ネタバレ有り感想
Fan's Voice様の試写会に当選しまして、8/28に映画「窮鼠はチーズの夢を見る」の試写会に行ってまいりました。
6月公開予定だった映画で、大倉さんのファンということもあり非常に公開を楽しみにしていたんですが、コロナにより公開が延期…
なんとしても見たい!!と藁にも縋る気持ちで試写会に応募したらなんと当たってしまい…今までこういった懸賞系に当たったことないので当たったら当たったで物凄くテンパりました。
Fan's Voice様、貴重な機会をありがとうございました!
以下感想です。ネタバレまみれです。
ネタバレが嫌な方は絶対に見ないでください、うっかり見ても責任は持てません。
最後の方に上映後の行定監督のお話を記載しています。
感情がグチャグチャになる映画でした。
美しくて、生々しくて、残酷。
正直に言ってこの映画は登場人物誰にも感情移入はできず、ただ変化していく人間模様を箱庭の主のように観察しているような気持ちになる映画でした。
大倉さん演じる大伴恭一は、言い寄られるとすぐに流されて誰とも寝てしまういわば「流され侍」。
息をするようにいろんな人と寝るのであまりに面白くてマスクの下でめっちゃ笑ってました。ここら辺原作はコメディタッチで描かれているのでまだ見れるんですが、大倉さんの飄々とした雰囲気で次次と相手を取っ替え引っ替えしていく様は清々しいほどのクズっぷりでした。天晴。
原作と比べて台詞が少なくなっている分、纏う空気や表情でいかに役を演じるかということが重要になってくる難しい役だったと思うんですけど、柔らかな空気を纏わせて人の良い笑みを浮かべながらどこか温度がない、肝心な部分に小さな穴が開いているような、そんな印象をうけました。それが今ヶ瀬と接していくうちに段々熱を持って「人」になっていくというか…うまいこと言えないんですが…終盤、泣きながら街を歩くシーン、横顔なんであまり表情は見えないんですが悲愴感がすごくて。あんな風に泣ける相手に出会ったというのが大伴の人生の最高の幸せで最大の不幸だなというのが伝わる大好きなシーンです。
とにかくもう、一部の隙なく大伴だったので、屋上で二人が乳首あてゲームで戯れあいながら笑い合ってる時に「アッ大倉さんの笑い声…大倉さんがいる…そういえばこれ大倉さんが演じてたんだった…」ってなったくらいでした。
一方で成田さんが演じる今ヶ瀬渉は大伴と初めて言葉を交わした時からずっと彼を思い続けている情の深いというか重い男。
すごい今ヶ瀬が可愛いんです。インタビュー等の媒体でも語られていますが、ずっと大伴を見つめる目がうるうるしていて、かと思えば恋敵でもある夏生を前にすれば深い沼のようなじっとりした暗い目をする。中盤、大伴が今ヶ瀬と夏生どっちを選ぶのかというシーンで、選ばれず一人残された今ヶ瀬が大伴が残したビールを彼の痕跡をなぞるように、噛み締めるように飲む姿に胸が掻き毟られました。また、大伴家にあるハイスツールタイプの椅子の上で体操座りをしながらタバコを物憂げにふかす様が繰り返し出てきます。その小さな小さなスペースだけが彼に許された場所であるかのように。まるで黒い野良猫のようでした。
ストーリーは割愛しますが、映画は原作と少し違うラストを迎えます。
それがもう辛くて辛くて…
流され流され今までやってきた大伴は、今ヶ瀬と過ごすうちに少しずつ行動に変化が出てきます。「自分で選ぶ」ということです。
今ヶ瀬と出会ってから、大伴自身が何かを選んだり自ら行動したりといった描写が増えていきます。(多分意図的に演出しているとは思いますがまだ一回しか見ていないのでちゃんと確かめたい…)
象徴的なシーンが三つあって、夏生を抱けなかった後に自ら今ヶ瀬にキスをするシーン。
今ヶ瀬と別れた後ゲイが集まるお店に行って彼を探すシーン。
もう一つは今まで体の関係を持った女性をフらずにナァナァにして自然消滅してきたであろう大伴が(作中で関係の終わりはちゃんとしなきゃダメみたいなこと言ってますがお前どの口が…とちょっと笑いそうになりました)、環をちゃんとフって自分の手で関係を終わらせるシーン。
選ばないって、とても楽な生き方です。自分で選ばずに相手が動くのを待っていれば責任も何も負わない。何も考えずに済む。
優しさがほしくて優しさを振りまいて、それで釣った人達の好意を咀嚼するだけで生きてきた。彼の優しさは他人のための優しさではなくて、ある意味自分のための優しさである。
そんな彼を自発的に動かしたのは、彼と対照的な今ヶ瀬の執念のような愛です。
今まで自分のために使ってきた優しさを、彼は終盤で環のために、今ヶ瀬のために優しさを持って別れを告げる。
今ヶ瀬が最後に覚悟を決められず逃げたとわかっていても大伴は二人で過ごした部屋に戻る。
大伴から逃げた今ヶ瀬は同刻、違う男に抱かれながら慟哭している。
大伴は今ヶ瀬の捨てた、彼のモチーフである灰皿を大事に洗って、彼がいつも腰掛けていた椅子に腰掛け、戻るかもわからない彼を待ちながら少し微笑むところで映画は終わります。
大倉さんが連載している日記の中で「追い詰められて見るチーズの夢は悪夢なのかもしれない」ということを仰っています。
追い詰められて最期に見る夢が最愛のご馳走で、口にすることもできないとわかっていれば確かに悪夢たり得ます。
それでもその夢を見続けることを決めた大伴。
こんなにも美しくて、それでいてこんなにも残酷なラストがあるか…と絶望しました。
同性愛は、現状結婚という愛の決着先がありません。
上映後の監督のお話で「大伴の部屋は水槽に見立てている。水槽の中で自由に泳いでいた二人はやがて大海を見たくなり、海に行く。真っ直ぐ進んだらいつかどんつきの海に辿り着くでしょう?でも辿り着いたところで水槽の魚は海では生きられない。で、帰ってきちゃうんです」というものがありました。
二人の愛の決着先は結局見つからなかった。
契約がないからお互い目に見えない「愛」というものに縋るしかない。
愛は見えないから、言葉や態度で示すしか無いんですが、他人のことなんて100%なんて絶対にわからない。
男女だって難しいのに、世間から奇異の目で見られる不安、ましてや大伴は所謂ノンケ。流され侍でいつ女のところに戻るかもわからない。
そんな永遠に付き纏う不安を抱えながら、ズタズタになりながら大伴を想う今ヶ瀬。
でもそういう不安を予め持っていれば、それが現実になった時に「ああ、やっぱりね」と思うことができる。予防線。
100%全てを信じて裏切られたときのショックは免れることができる。
誰だって傷付きたくはない。信じれば信じる程、良くなれば良くなる程ダメになったときのショックは抱えきれなくなっていく。
今ヶ瀬の抱える不安と相反して大伴は自分の方をちゃんと向いてくれるようになっていく。
自分のエゴでノンケだった大伴を茨の道に引き摺り込んで、そのせいでもしかしたら不幸にしてしまうかもしれないという恐怖。
そして耐えきれなくなった今ヶ瀬は、ずっと好きだった人に愛してもらえるという最高であるはずの幸せを掴みかけたのに大伴の元から去ります。
作中今ヶ瀬が見ていた「オルフェ」という映画に今ヶ瀬が抱える恐怖が反映されています。(自分と違う世界の人を愛してしまい、一度は結ばれるけど最終的に相手に別れを選ばれてしまう話)今ヶ瀬はこの作品の登場人物の王女に自己投影をしているという話を監督がしていらっしゃいましたが、そうだとすれば結局今ヶ瀬が去るという結末は遅かれ早かれやってくるものだったんでしょう。
冒頭は大伴←今ヶ瀬だった関係性が、最後の最後で見事に逆転します。お互いがお互いを想った故に行き着く恋の最期。それが余計に、どんなに愛しても相手が必ずしも自分のものになることはないという愛の残酷さに拍車をかけています。
結婚がスタンダードとされる世界ですがこの映画の中では不倫・同性愛をはじめとする様々な愛の形が登場します。何が普通なのか、普通とはなんなのか、そもそも普通とは誰が決めることなのか。認識がどんどん曖昧になっていく中、それでもどうしようもなく好きなんだという、純度の高いひりつくような登場人物達の気持ちだけが生々しく伝わってきます。
突き詰めれば恋愛って「相手が好き」という純粋な気持ちなんですが、人間だから、様々なしがらみが生まれる。ピュアな気持ちのままじゃいられない。
原作に大伴の台詞で「恋愛は業だ」というものがあります。言葉を限界まで削ぎ落として、まさしくその台詞を体現したかのような映画でした。
個人的にこの映画の後があるなら今ヶ瀬は永遠に戻ってこないと思うのでそれがまたつらい・・
話題の濡れ場ですが、いやそこまで描写しますか!????すごいな!!!!という感想は持ちましたが、なんていうんでしょうか、対女性の濡れ場は知り合いのエッチを覗き見してしまったようなソワソワ感が強かったです…
大伴と今ヶ瀬の濡れ場は、「おお、すげえ」と「今ヶ瀬、よかったね…よかったねえ…」という気持ちで見ていました。
全部画が非常に綺麗だったのでメッッッッッチャエッチだ!!!というよりは芸術品を見ているような気持ちでした。
私はこの映画観て結構ダメージを受けましたが、でも本当に観てよかったなと思います。推しが出ている、出ていない関わらず。
数々のシーンを思いだすと今でも涙が出てくるくらいの衝撃がありました。
正直人生の中で一番好きだと言える映画です。
人間の弱さ、愚かしさをこれでもかと眼前に突きつけられ続ける。
どんなに絶望的な中でも希望を持ってしまうし、うまくいっていると思っていたのに絶望に叩き落とされることもある。
それでもそんな濁流のような人生の中で足掻くキャラクターたちの愛おしさと美しさを見事に描き切っています。
少しでも観たいな、という気持ちがあればぜひ一度は観ていただきたいです。
そして濡れ場ばかりがメディアにフィーチャーされていますが、それは作品のピースの一つであり、主軸はとにかく重くてあまりに苦い物語です。
BLと括られてしまうにはあまりにも惜しい、人間ドラマの傑作だと思います。
これを観た方々がどんな感想を持つのか、今からとても楽しみでなりません。
上映後の監督の話ですが
「大伴の部屋がモノトーンなのは、今ヶ瀬の持ち物である黄色い灰皿とピンクのジッポーを目立つようにしたかったから。大伴が部屋に入ってきた時に黄色い灰皿があれば今ヶ瀬がいるって判断してるんです。あと日本人は白人と違ってベッドシーン時に肌の色が上手く出ないんです。それで周りの色調を落としてカメラのフィルターを使うことによって肌の色を映えさせることができました。」
「脚本が大倉のお尻から始まっていた。大倉のお尻から始まって動いていくカメラワークで後々今ヶ瀬の目線だった、ということに気づくようになっているんだけど、ただ単にお尻ドアップじゃ流石に直球すぎるってなって。自転車通勤させる流れになった」
「大伴って白いスポーティなスニーカー履いてるでしょ。オレ、自転車通勤してるから!っていう意識の高さを出したかったんです。ちなみに家は代官山で職場は品川ってなんとなく思ってて、実際ロケハンしたら使えそうな場所が結構あったからそのままその設定を採用しました」
「成田はゲイの役作りのためにそういう方にいろいろ話を聞いてきてくれて、報告してくれるんです。作品内でタバコを吸うってなった時にみんなどういうタバコを吸ってるのかって聞いた時、普通に電子タバコだよって返されたらしくて。でもあえて吸うならセブンスター!ってなって彼は作中セブンスターを吸っています」
「二人が結ばれたあと素っ裸で部屋をうろうろしているシーンなんですけど、あれは同性だからこそできた演出。あれが一番撮りたかったんです」
「二人が再会して街中で言い合うシーンですが、実を言うとあのあと1分くらいの映像があったんです。もうね、二人ともすごくいい演技してくれて、熱演。でもあえて切った。観た人に映画を能動的に考えてほしくて。本当に熱演だったけど(ちなみに出す予定は無いそうです)」
「ラブシーンを入れるべきかどうかは最初に決める。前作ではあえて入れなかったけど、今回は入れないとダメだなって。しかも極限まで俳優さん、女優さんたちに曝け出してもらわないと映画がリアルにならないから。」
のようなこぼれ話を聞けて非常に楽しかったです。完全に覚えているわけではないし、意訳ですが…!